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『赤レンガを活かした国府台のまちづくり』シンポジウム

『赤レンガを活かした国府台のまちづくり』シンポジウム

来春早々シンポジウムを開催します。市川の明るい未来を語り合いましょう。
皆さまお誘いあわせの上ご参加ください。

▶日時:2026年1月10日(土) 14:00~17:30(13:30開場)
▶会場:和洋女子大学 南館9階大会議室
    (千葉県市川市国府台2-3-1)
アクセス

▶基調講演:西村 幸夫氏 国学院大学観光まちづくり学部教授・学部長
▶話題提供:金指有里佳氏 和洋女子大学家政学部助教
     :穎原 澄子氏 千葉大学大学院工学研究院教授
     :岡  直樹氏 (一社)地域力研究所代表理事
▶総合司会:榎戸 敬介氏 千葉商科大学総合政策部教授

赤レンガ見学会 筑波大学付属聴覚特別支援学校のご厚意により、
         グラウンドより赤レンガを見学できます。
         (集合場所:12:00に同校正門)
▶主催:赤レンガをいかす会

【詳細はこちら
ポスター

最近のトピックス

赤レンガに埋もれた戦争の歴史

かつて市川は、旧日本陸軍の練兵場を中心とした軍都でした。ここからはたくさんの兵士が戦場へと狩り出されて行きました。その悲惨な運命を見つめ続けてきたのが、旧陸軍武器庫として明治時代に建てられた赤レンガ建築物です。
澄んだ大空に包まれる千葉県市川市の江戸川流域、その豊かな水の流れと広大な斜面を彩る緑が市民の心を和ませる市川市国府台の景観.....その緑深い台地の中、旧千葉県血清研究所の跡地に赤レンガ建築物は今もひっそりと佇んでいます。
映像でたどる赤レンガ建築物

赤レンガ建築物の歴史 (~太平洋戦争終戦)

1885(明治18)~1886(明治19)年、日本陸軍近代化の一環として陸軍教導団が市川市国府台に設置されました。
赤レンガ建築物は、教導団の武器庫として建てられた間口20m×奥行き8m×高さ10mの、切り妻式瓦屋根を持つどっしりとした2階建てです。フランス積みと石灰モルタル目地、キングポストトラスという洋風小屋組が建築的特徴です。
建築年はそれまで明確に分かっていませんでしたが、フランス積みは明治10年代後期以降にはイギリス積みが主流となり、石灰モルタルも明治24年以降はセメントモルタル目地に変わっていったもの、キングポストトラス構造は富岡製糸場などにも見られる工法であること、レンガや瓦の烙印などから、1885(明治18)年~1886(明治19)年の早い時期に建築されたことが、明らかになってきました。
教導団は1899(明治32)年に廃止となり、陸軍野戦砲兵隊が後を引き継ぎ駐屯しました。
市川赤レンガ歴史旅行~赤レンガ×戦争×ワクチン~

赤レンガ建築物の歴史(太平洋戦争終戦後~)

1945(昭和20)年太平洋戦争終戦の後、国府台の陸軍基地跡には大学、中学校、高等学校、大学付属養護学校、その他国府台病院(旧陸軍病院)、運動公園(旧練兵場)などが設置されました。
旧陸軍感染症研究の流れを汲んで1946(昭和21)年に中山競馬場内に設立された千葉県立血清製造所が、同年暮れに赤レンガ建築物の敷地に移転しました。
赤レンガ建築物は、旧千葉県血清研究所(1949年改称)の施設として、1階は1954(昭和29)年から破傷風室と冷蔵室、1970(昭和45)年に大型コンプレッサーが設置され、2階は主に資材倉庫として使われました。
血清研究所は、2002(平成14)年に閉鎖されるまで日本全国の公衆衛生施策に重要な役割を務めましたが、赤レンガ建築物の役割も同時に終えました。
旧千葉県血清研究所

赤レンガを平和・環境・文化活動の拠点へ!

明治期のフランス積みは全国でも極めて少なく、その7割が世界文化遺産や国の重要文化財に指定されています。
足かけ130年、戦争から平和への歴史的交差点として残る赤レンガ。
この戦争遺跡の赤レンガ建築物を保存し、歴史の証人として甦らせ、平和と環境と文化をテーマとした創造と交流の拠点に生まれ変わらせたい。それが私たちの願いです。
閉鎖された旧血清研究所の敷地は約13,500㎡(4,100坪)に及びます。このエリアが、平和のシンボルとしてだけでなく、福祉、防災、芸術文化、そして市民の憩いの場になることを願っています。
私たちは、赤レンガ建築物と国府台地域の調査や、活用計画の検討を行い、見学会や展示などを通して、その意義を広く知っていただく活動を続けています。
赤レンガ建築物を遺す意義
調査と活用

赤レンガ

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