今回のテーマは中山競馬場の歴史です
まずは、今回のミュージカルは戦時中の中山競馬場が主な舞台ですので、その当時の航空写真を見てみましょう
以下は国土地理院のサイトにある、著作権フリーの航空写真
昭和19年10月22日に当時の陸軍によって撮影されたものです
このころの中山競馬場は競馬自体の開催はすでに行われておらず競馬場は閉鎖、陸軍に接収されてしまっていた時のものです
今回のミュージカルの主役家族である松丸家
中山競馬場から徒歩圏内ですので、この写真のどこかにきっと家があるんでしょうね
それにしても、田畑ばかり・・・
余談ですが、当時の松丸家を演じる方にお聞きしたところ、田畑による収穫で松丸家は食べるものには困っていなかった設定だとか・・・
昭和18年から深刻な食糧不足だったんですが・・・
中山競馬場、府中にある東京競馬場同様に移転しています。
そのルーツは、松戸競馬場です
この競馬場の存在を知る方はあまり多くないのですが、松戸駅前、現在の松戸中央公園にありました
ただし、交通の便がよかったことからも大正7年に陸軍に接収されてしまいます
そのために移設されたのが中山競馬場の始まりです
なお、東京競馬場の移転前は目黒競馬場
こちらの移転の理由は手狭になったからというものでした
さてこの松戸競馬場
現在の競馬場のように楕円形ではなく、狭隘でしかも曲がりくねった走路
コースは現在の松戸中央公園や聖徳大学の地形から想像できます
wikibediaに当時のコースがわかる画像があります
以下は昭和11年の航空写真
ちょうど中央にあるのが当時の陸軍施設です
なんとなく元競馬場の雰囲気が残っています
この松戸競馬場が移転してできたのが中山競馬場
ただし、移転した場所は今の場所ではなく「行徳海岸」だということはあまり知られていません
その場所は原木中山駅と二俣新町駅の間に位置します
現在ではコーナン湾岸市川モールがあるあたりです
ただ、1923年(大正12年)の関東大震災による大津波で完成間近の競馬場が流されてしまったために、その後今の場所に移転することとなりました
以下の写真は昭和11年9月12日の航空写真
右側に競馬場らしき跡がしっかりと残っていますね
そして震災による津波の爪痕も