快晴に恵まれた5月13日(日)午前10時より、市川市宮久保にある白幡神社にて、「手鞠歌 風にのって」公演の成功と安全を祈願する儀式が挙行されました。
これは実行委員会と宮久保自治会連合会、宮久保商店街、神社総代、市川民話の会の方々との共催で開かれたもので、出演する子どもを含めて総勢30名ほどが参列し、楽しくも厳かな雰囲気で無事進行しました。
行事はまず、昭和25年の「袖掛けの松」伐採時の事故で亡くなった少女の御宅とお墓にご挨拶。
つづいて、神社本殿で、宮司参列のもとで本格的な祈願式。
最後に、道路脇にある「袖掛けの松」碑に顕花。
というふうに進行しました。
その間に当時の様子を知る人たちの地元ならではのお話も伺えたりして、本当に有意義な半日となりました。ご尽力くださった宮久保自治会の方々には心より御礼申し上げます。
本八幡駅前の道路をずうっと北進して、宮久保坂を上り始めた右角に「袖掛けの松」の三代目が移植されています。大きな楠の手前にまだ細く頼りなげに立っているのが三代目です。その前に碑があります。階段を昇るとその奥が白幡神社。
今は2車線となっている道路は、その昔は細く曲がりくねった坂道で、雨が降ると馬の脚もずぶずぶと腹下まで潜りこむような泥道だったそうです。周辺の住民が町に出るのはその道しかなく、往来にずいぶん難渋したそうです。そこで「袖掛けの松伝説」が生まれていったのでしょう。
昭和25年の道路拡張のために「袖掛けの松」が伐採されることになったとき、切ることで祟りを恐れた人々が多く誰もが切ることを拒んだそうで、大工の棟梁だった「玄さん」が仕方なく引き受けたわけです。
本当に大きな松だったようで、崖の山側方向に倒すはずの松が道路を横断する形で倒れこみ、向かいの家の庭で見物していた少女が木の下敷きになって亡くなってしまいました。
悩み苦しんだ「玄さん」は、その後宮久保小学校の小使いさん(用務員)となって余生を子どもを守る仕事にそそぎました。これが歴史的事実です。
その事故は沢山の見物客の見ている前で起きてしまったのです。地元のお年寄りは当時の様子を鮮明に覚えておられるようです。
さて、1週間後にはキックオフ!が始まります。皆様の温かいご支援にささえられて、意気高く稽古を重ねていこうと思います。
とはいえ、まだ出演者の数は不足しています。5月いっぱいまで募集を継続しますので、まだ悩まれている方はぜひご参加ください。